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8/23 宇川日記

少し前のことになりますが、8月23日の二回目の宇川・米軍基地建設工事ゲート前での抗議行動のことをお伝えします(ずいぶんとおそくなってしまいました・・・)。

この日の少し前、8月の頭に、たった2日間だったけれど、辺野古に行ってきました。皆さんもご存じのとおり、辺野古では、新しい米軍基地建設工事がはじまっています。たくさんの市民が、沖縄内外から集まり、基地建設工事を止め、遅らせるための行動を、連日行なっています。

その現場は無数にありますが、一つは辺野古の米軍・キャンプシュワブのゲート前。基地建設のための海底ボーリング調査に必要な機材や人、車両や重機などが、このゲートを出入りしているからです。灼熱の太陽のもと、集まった市民は100人くらいだったでしょうか。朝に集まり、昨日までの行動の様子や取り組み方のルールなどを共有したあと、みんなでゲート前に立ちます。行き来するトラックやダンプカーを完全に止めることはできない/しないのですが、1台が通過する時間を少しでも長くさせる=遅らせることを目指します。ゲート前で抗議の声をあげたり、時間をかけてゲート前を歩いたりしているあいだ、トラックやダンプカーはじっと止まって、様子を見ています。このあいだ、車両の出入りは止まります。ほんとに止まるんです。でも、しばらくすると、民間警備員や警察官が「協力をお願いします」と声をかけてくるため、少しずつ「協力」をしながら、車1台がギリギリ通れるような隙間を少しずつ、じわじわと作っていきます。私たちスレスレのところを通り過ぎる車両。通過するあいだ、集まった私たちは「基地建設をやめよう!」、「反対しよう!」と運転手さんたちに声をかけます。

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すごくシビアな現場で、ときに、機動隊の人たちが力づくで私たちを押しのけてきたりします。私も、機動隊の一人に首をつかまれて、強い力で押され、すごく苦しかった。

でも、集まった人たちは、ものすごくしたたか。いかに、阻止行動の側に正当性があるのか。私たちを排除することがいかにおかしいことか。切々と、誰でも理解できる言葉でのアピールが続きます。ときに、歌があったり、ユーモアや皮肉たっぷりのアピールがあって、怒りだけでなく、したたかさと、辺野古を守りたいという愛と、そして笑いにあふれた現場でした。こうしてゆっくりと時間をかけることで、工事はどんどん遅れているのです。

参加してしばらくしたとき、あれ、と思いました。この風景、この感じ、なんだか宇川に似ている、と。目の前にゲートとフェンスが広がっている。そこに工事のためのダンプカーや車両がやってくる。私が宇川の米軍基地建設現場でみてきた光景と似ている、というか、同じじゃないか、と思ったのです。目の前で、基地の中へと重機が運ばれていくのを見せつけられる、あの嫌な感じもそっくり。あの砂埃、熱い太陽・・・。また、民間警備員が警察の指示に従って動いている様も同じ。そして、警察の背後にちらちらみえる、米兵の姿も、同じ。

「辺野古での基地建設阻止行動」というと、「いやー、沖縄の社会運動ってすごいよね、やっぱ違うし、特別なことだよね」というイメージは強いと思います。それは、私もそう思う。けれど、集まった人たちがやっていることはすごくシンプルです。ゲートの前に立つ、歩く、勇気を出して一歩前に踏み出してみる、そして、工事のための車を少しでも遅らせてみる。あるいは、自分が思っていることを、そのまま声に出してみる。民間警備員の人たちに、警察官に、そして、運転手さんたちに、一人の人として声をかける。「辺野古での基地建設阻止行動」とは、行く、立つ、歩く、踏み出す、声をかける、話を聞く、というあたりまえの行為から成り立っていました。そして、それら無数の行為の積み重ねがあって(長い長い年月の積み重ねもあって)、実際に、基地建設工事を遅らせている。そして、遅れれば遅れるほど、知恵のある人、とんちのきいた人、行動力のある人、とんでもない発想を持ち寄ってくる人が集まるわ、集まるわ・・・どんどん現場は豊かに力をましていく。あたりまえの行為が一つ、また一つ。つながっていく、連鎖していく、豊かになっていく。そして、そこに変化は生まれる。

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このことに気付いたとき、なんだ、宇川と同じじゃないかと正直思いました(といったら、沖縄の人に怒られるかもしれないけれど)。宇川でも、同じことをやればいいんだ、と改めて思ったわけです。基地建設工事を完全に、ピタリと止めることはできなくても、遅らせることが大切なのだと思う。「今日も基地建設工事は進んでしまった」と嘆くよりも、「今日も工事を10秒遅らせられた、10分遅らせられた」と思えることのほうが大切なのだと思う。小さく始めた「宇川日記」ですが、スワロウカフェをはじめとして、各地の個人やアイデアやネットワークをどんどんつながっています。そのことにまず喜びを見いだしてみよう、と。

キャンプシュワブの海川では、カヌーや船に乗って、ボーリング調査への抗議・阻止行動も行なわれています。カヌーの乗り手のある女性が、こう仰っていました。

「ここにいる人の力をかりて、風にのって、波にのって、私は海に出ていく」。

女性は、私は一人ではない、キャンプシュワブゲート前の人たちの声を背中に受けて、海へと出ている、という。あるいは、ゲート前にかけつけられなくても、この行動を支持・支援しているたくさんの人たちがいて、その人たちの見えない/聞こえない声を背中に受けて、私は海へ出る、と。

宇川だって同じだ。宇川までかけつけられないけれど、この問題に関心を持ち、反対の意志を持っている人がたくさんいる。宇川の住民の方々も、反対の声をあげて、表に出ることはほとんどできないと言います。その人たちの見えない/聞こえない声を背中に受けて、私は宇川のゲート前に立ちたい。そう思いました。

そんなことを考えて、私はこの日の宇川での抗議行動に向かいました。

穴文殊にまずはお参り。そして、境内をぐるりと歩いていると、このまえ来たときよりも、確実に工事が進んでいるのが分かります。地形も含めて、大切な文化遺産である穴文殊。その穴文殊の岬の突端を、削り取り、穴を掘る重機が、うなり声をあげて作業を行なっています。根っこからひきぬかれた、おそらく松の木が、ショベルカーに踏み倒されていた。おぞましい・・・。そして、とても悲しい。変わりゆく土地をみるとき、胸がかきむしられ、しめつけられる。

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ゲート前に到着すると、工事を受注している企業のおっちゃんが、「お、また来たんかー」と声をかけてくれた。「こんにちはー。また来たわ〜」。

ゲート前に立つ。私の呼びかけに応えて集まってきてくれた人たちもいて、全員で6人。仲間が増えるのがすごく嬉しいし、心強い。手作りのプラカードをかかげながら、道行く車やバイク、バスにむかって手を振る、「こんにちは〜!」と声をかける。

今日は、二回目ということもあって、前述のおっちゃんや民間警備員のおっちゃんとの会話も増えて、いろいろ話しができました。こちらが、ここでつくられようとしている米軍基地に、たくさんの反対の声があがっていること、電磁波や米軍人・軍属による犯罪への恐怖などたくさんの問題が指摘されていること、京都府や京都市、住民が求めたことを国がまったく守っていないことなどを話しました。それに対して、おっちゃんが一言、「そうなんや。じゃあなんで知事や市長は認めてんねん」。「いや、ほんま、そうやねん!」。

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道行く車両や人たちからの反応も増えた一日でした。ウォーキングをされていた方から「おつかれさまです」の一言。車のなかから手を振ってくれる人も数人。すれ違いぎわに、小さな声で激励してくれた人。郵便局のバイクの運転手さんが会釈して通ったり。いたって、好意的なコミュニケーションが、豊かに、静かに広がっていきました。コミュニケーションの輪を広げていくこと、お互いに「米軍基地いらんよね」という思いを一瞬であれ共有し、表現することが、どれほど大切なことか。声をあげにくい環境をつくられてしまっている宇川にあって、それは、ほんとうに大切なことだと思う。

米軍基地のなかへと大量の土砂を運んでいるダンプカー。出入りの際に、みんなで声をかけます。「工事をさぼろう!」、「工事をやめよう!」。軽く会釈してくれる運転手さんもいれば、わざとなのだろうか、私たちに向かってハンドルを切ってくるような車もある。これもコミュニケーション。

そして、嬉しかったのは、差し入れをいただけたこと。おつかれさまー、とお茶の差し入れを頂きました。暑い一日だったので、それがどんなに嬉しかったことか。

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辺野古では、ユーモアやしたたかさ、いろんな表現があった。ここでも同じ。ある参加者が「ばちがあたるぞ〜〜〜!」と基地に向かって吠える。みんな、ちょっと笑って聞いていたのですが、「あれ、ほんまや、地鎮祭もやってへんいうし、ほんまに、ばちあたり!」となって、みんなで「ばちがあたるぞ!」コール。宇川についての歌を唄う場面も。

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(ばちあたり工事の象徴は、この写真。岬の先端、ブルーシートのかかったところが工事現場の一部。穴文殊の松が切り倒され、土地も削られ、平らにされているのがよくわかります。その下に広がる田畑と美しい海との悲しくなるギャップ。)

先ほど書いたように、工事受注業者のおっちゃん、民間警備員のおっちゃんと私たちは良い形でコミュニケーションをとって、それぞれのやらなければいけないことをやり、落しどころをお互い見つけながら、ぎりぎりのところで、ゲート前という空間をそれぞれ管理していました。

いやー、いい感じだ、と感じていたら、やっぱり登場したのが、京都府警2人組。到着するやいなや、こっちの話はまったく聞かずに、「邪魔だ邪魔だ!どきなさい、どきなさい!」と連呼、暴力的に私たちを排除しようとします。それに対して「なんの法的根拠があって、そんなことを言うんですか?」と落ち着いた口調で尋ねると、「そんなことを普通の市民は言わない!」と京都府警は恥ずかしくなるような暴言。警察の言うことを、しゃーしゃーと聞く人しか「市民」じゃないそうですよ。あほやなー。こちらからの「法的根拠は何ですか?」、「危ないと思ったら、警備員さんや運転手さんと話し合って、ここをやりくりしているのだから、いいじゃないですか」、「ここを歩く権利を私たちはあるでしょう?」というあたりまえの質問には、まったく答えられない京都府警のおじさん。答えられず、しどろもどろになると、勝手にぶちぎれて、「はい、どきなさい、どきなさい!」しか言えず、まぬけな姿をみせてしまう・・・。

この日は海水浴にぴったりな夏の週末。片側一車線の車道には乗用車やバイクが行き来しているので、京都府警の車両が邪魔して軽い渋滞発生(抗議しているときには、渋滞なんてなかったのに・・・)。「警察は何がしたいんだ」的ムードが、静かに、しかし確かに、私たち、工事受注業者、そして民間警備員の人たちのあいだに広がっていく。はっきりと、「警察、邪魔だなー」という空気が・・・。こちらの質問にまったく答えられない自分から逃げたかったのか、ぶち切れる自分に疲れたのか、しばらくすると、おじさんとこれまた言葉の通じない兄ちゃんの京都府警2人組は帰っていった。そこに広がる、静かで穏やかな宇川。私たちも警備員のおっちゃんたちも、ほっと一息、安堵の表情。

夕方五時で工事終了。こちらも撤収。

ふりかえってみて、辺野古で感じたことを再確認するような一日でした。やること/できることはシンプルなこと。行く、立つ、歩く、声を出す、伝える、聞く、勇気を少し出す。「今日も工事を止められなかった」と考えるのではなくて、「今日も工事を少しでも遅らせられた」と考えてみるということ。そして、伝えた言葉は、目に見えた変化にあらわれなくても、静かに変化をたくわえているということ。今日の、警備員のおっちゃんたちとのたくさんのコミュニケーションやそれに基づくゲート前の管理の仕方、空間のつくりかたにそれはあらわれている。あるいは前回よりもたくさんの好意的な反応を、道行く方々や車からもそれを感じました。この変化をどれだけの人たちに伝えられるか、実感してもらえるかが、とても大切なのだと思う。

帰り道、立ち寄ったスーパーで地元愛にあふれた店員さんと出会えて、地酒についてご講義いただく。買って帰らせてもらった地酒のうまいこと!いやー、丹後、熱いです。

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(美しい丹後の夕焼け)

by ukawadiary | 2014-09-15 18:42 | 宇川日記  

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